あおきDIARY

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銀座店

『関』に思う & 寒い季節の紬の楽しみ

年明けて早くも下旬となりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
1月は初詣や成人式、観劇や初釜などで晴れ着を着られた方も多かったと思います。

近年はフォーマルな装いの場も減ってしまっておりますので、この機会にとっておきの一揃えを楽しみたいところですね。
引き続き寒さは続くようですので、次いではほっこり紬の出番になりそうです。

銀座店にも結城や置賜、郡上など上質でお洒落な紬のお着物が続々入荷しております。

紬もやはり帯次第でバラエティに富んだ着こなしができますので、 帯をいろいろ変えてお楽しみ頂ければと思います。

以下、淡色の紅花紬と濃色の結城紬にそれぞれ雰囲気の違う帯を合わせてみました。

着物:紅花紬 白梅鼠色(A-3512

帯(左から):渡文製袋帯(帯4151)、組織り洒落袋(L-4945)、紬地洒落袋帯(L-5304

着物:結城紬 墨色無地(A-3519

帯(左から):小篠弘子作洒落袋 五弁椿(L-5937)、南風原花織名古屋帯(帯4114)、鎌倉芳太郎作 型絵染名古屋帯(帯4043

そしてこの年初めの時期、私には必ず思い出される事があります。

「日日是好日」で知られる禅師、雲門文偃の言葉『関』です。

『関』は玄関の関、関門の関で、いわゆる入り口の事ですが、この言葉が発された際のエピソードが興味深いのです。

唐の時代、90日間の厳しい修行期間が終わろうとする時に、翠巖老師が自分の説法がどうだったかを修行僧たちに尋ねます。

「あまり親切に分かり易く説くと、仏罰が当たって眉や髭が抜けるというが、私の状態はどうだ?」と。

弟子たちは「まだ生えている」とか「盗人はよそ見をしている」などと答えるなか、 雲門が『関』と答えたのだそうです。

この問いに対し、全く理解し難い、謎のような答えですが、 雲門がなぜそう言ったのか、彼の心境、その真意はどういう事なのかと、 のちに「雲門の関」として公案(禅僧が修行する課題)になったといいます。

そして、その難題を修行して3年ののち、大燈国師が悟りを開いた時の詩の一節が

お軸の言葉です。

軸『関 南北東西活路通 かん なんぼくとうざいかつろつうず』

一回透得雲関了
南北東西活路通
夕処朝遊没賓主
脚頭脚底起清風

(ひとたび雲門の関を通過してしまえば、南北東西どこへでも行ける。
 そこには朝や夕や主客の隔てもなく、迷いや悟りの区別もない。
 頭頂から足底までも清風が吹き抜けるような澄み切った世界である。)

つまり、関とは生きていく過程で必ず突き当たり、乗り越えなければならない障害であり、 それに勇猛果敢に取り組んでいく心持ちが必要である、と。

仏門でも同じ、簡単に悟りの境地に導くのは困難、ましてや容易く到達もできない、そこには常に超えなければならない関所があるのだという事を雲門は示していたのではないでしょうか。

私の茶道の恩師がこの言葉を好まれ、炉開きや初釜の際によくこの軸を掛けていらした姿を思い出します。

そして機があらたまる度に、『関』の心を以って初心に帰れよと、さらなる道へと精進せよとという お言葉を発せられておられました。

毎年、心に刻む言葉です。

現在も私たちは世界的に困難に突き当たっている状態ですが、 『関』の心を以て対峙していかねばならないと痛感するこの頃です。

春に向けてまた新商品が続々入荷して参ります。
今年も青木をよろしくお願い致します。

銀座店スタッフ 松浦

珍しく紅白の木瓜の花が咲きました

※ブログ内でご紹介させていただきました商品は一点ものが多いため、すでに販売済の場合もございますのでその旨ご了承くださいませ。